赤裸裸

ききらら

ちがいのない人々

人が腹を立てていたり、争いごとをしているのを見ると胃がじくじく痛む。人との関わりの中で、ストレスを感じないことは無理にしても、なにも人が受けているダメージだとか自分に向けられている言葉をもろに受ける必要なんてどこにもないのに。他人の言葉に捕われるなんて、こんなことを続けていると長生きできないなあと思う。

そもそも全ては大したことではないのだ。だけど、浴びた言葉をその場で自分から切り離すことはわたしにとって難しい。もう少しそういうのを上手くやっていきたいものだ。

 

心ない言葉。

 

某タレントに心ないリプライをしている人を見た。よくあることなのだけど。確かに見ていて気持ちの良いものではなかったし、わたしもリプライを飛ばしている人に腹が立ったりした。でもその人はすぐに周りの人に心ない言葉を言われる立場になっていた。そのうち、その人はアカウントを消してしまった。これもよくあること。

そして、心ないリプライをした周りの中の一人に、わたしと年も変わらず好きなものもよく似た人がいた。「△△を好きな人に悪い人はいないって考え方に無理がある」と誰かが言っていたのを思い出してその通りだなあと思った。

極論、どんな人にも大切な人がいることを考えれば、酷い言葉というのは生まれないような気もする。でも、プライドやら人と比べることや心の浮き沈みやら、そう言ったものでわたしも人を僻んだり嫌な言葉を出してしまうこともある。

悪意は悪意を持った人に返ってくる。そうであって欲しい。わたしが持った悪意はいつかわたしに返ってきて欲しい。返ってこなければ尚、醜いままな気がするからだ。これはたぶん自己満。

大人になるとなんでも自分で解決できるようになると思っていた。だけどそれは違って、実際は保留の連続によって自分をなんとか立たせているだけなのかもしれない。そして子どもの時と違うのは、夜は夜更かししたくてドキドキするものだったのに眠りたくても眠れないものになったくらいだろうか。